座布団が行司にクリーンヒット

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ゴール決めなきゃ

10月28日の日記で俊哉さんからキラーパス受けました。スルーするわけにもいきませんからね。
本当はキラーパスなんだからパス受けたら死ななきゃいかん。キラーだし。サクッと。
ではフォロー、と言いますかツッコミやらせていただきます。押忍。

あの遺影は藤井選手のではありません。3年前に亡くなったチームスタッフの山本穣氏のものです。
そして遺影を持っていたのはコーチではなく、背番号55番大道選手です。
山本穣氏は南海入団当時から大道を弟のように可愛がっていたそうです。
大道選手は「穣さんのためにも・・・」と自分のヘルメットに山本氏の背番号「113」を今でも貼っています。

ちなみに遺影はありませんでしたが、藤井さんも一緒に胴上げされたんですよ。
胴上げの映像の中で見えましたか?胸に「15」と書かれたハリーホーク人形を。
あれは通称「藤井ハリー」と呼ばれ、藤井さんが生前つけていた背番号15を受け継ぎました。
今でも、シーズン中でも選手の側にいて(ベンチ裏にいつもいます)選手を見守っています。
シリーズ中はずっとベンチの中で選手と座っていました。選手達が打席に立つ前、守りに行く前に
藤井ハリーの頭をポンポンッと叩いて出て行く姿を私は何度か見ました。

藤井さんと一番仲が良かったのは昨年FAで横浜に移籍した若田部投手でした。
若田部投手は藤井さんを兄のように慕い、藤井さんの急死も家族から直接聞いた程の間柄でした。
その若田部投手が大きな壁にぶつかって悩む時は、いつも藤井さんの墓前で相談するそうです。
FA宣言した時もそうだった。「藤井さんは『行って来い』と言ってくれた。」らしいです。
今でも毎年欠かさずお墓参りに行き、地元のチャリティーや少年野球教室には必ず出席しています。
この野球教室には若田部投手以外にも工藤投手や他のホークスの選手が多く参加します。
亡くなった後でも多くの人から慕われる藤井さんは、やはり偉大な投手だったんだなと思います。

今日のますネタ:
『本当はチョコなんです』(ふきだシアター・伊佐衛門像)
99年春場所アワードにも選ばれるが、その後非難轟々だったらしい。