座布団が行司にクリーンヒット

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騎手のアツい話はいつ聞いても感動する

上のアルカライズと三浦皇成騎手のエピソードは『サラブレ』5月号「騎手のちょっと○○な話」というコーナーに
あった25話のうちの一つですが、この中で個人的に心に来たエピソードを厳選して二つご紹介します。

「逃げるか追い込むか」吉永正人・元騎手
 騎手時代の吉永正人さんは「逃げるか、追い込むか」という個性的な騎乗で人気を博したが、極端なレーススタイルには批判も多かった。(中略)そんな批判にも吉永さんは言い訳も弁解もしなかった。展開や流れがどうだったとか、前が詰まってしまったとか、そんな愚痴はいっさい口にしない人だった。「自分の人生だもの、人のせいにして生きたくないですよ」(中略)一度だけ自分の騎乗を悔しそうに振り返った吉永さんを見たことがある。本紙の「名馬物語」でミスターシービーを取材した時だった。ジャパンカップの負けは自分の判断ミスだと言った吉永さんは、こんなふうにつづけたのだ。
「結果はわからないけど、ジャパンカップはシービーの可能性を試せるレースだった。
 それをしなかった(先行させなかった)ことが、いまでも悔やまれる」

「馬のため、恩師のためを思った大きな決断」佐藤正雄・元騎手
92年、桜花賞の大本命に推されていたニシノフラワーは(中略)無敗で2歳時を終えた。『もしかするとこの馬で桜花賞を勝てるかもしれない』。クラシックとは無縁の騎手生活を送っていた佐藤にとって、師匠である松田正弘テキと共に二度と来ることがないチャンスかもしれない。ところが3歳緒戦である桜花賞トライアルのチューリップ賞で、前が壁になり脚をあましての2着になった。乗り替りの声が周りから聞こえた。オーナーサイドからもその声はあった。しかし、松田正弘調教師はこう言い放った。「マサオを乗り換えたいなら馬を持っていってくれ」。そう言ったと佐藤は聞いた。ある夜、佐藤は師の家に行き、自ら乗り替りを申し出た。
師は佐藤を叱り飛ばした。
「先生、厩舎にとってもそれがベストです」
佐藤はその足で河内に依頼した。
「佐藤さん、いいのか?」
佐藤は黙って頷いた。
第52回桜花賞、先頭でゴール板に入ったニシノフラワーを真っ先に迎えたのは佐藤正雄であった。

他にも川田将雅騎手が競馬学校時代に辞めると言って帰って来ようとした際に父である佐賀の川田孝好調教師が
「お前が辞めるなら俺も調教師を辞める」と突っぱねて学校を辞めることを諦めさせた話などもありました。