座布団が行司にクリーンヒット

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『Gallop』美浦トレーニングセンター特集が面白かった

数週にわたって連載されていたこの特集も今週が最終回のようです。
美浦トレーニングセンターでかつて競馬開催を行う可能性があったらしい - 座布団が行司にクリーンヒット
読み物として非常に楽しませてもらいました。↑で書いた、美浦で競馬開催の可能性があった話のほかにも
当時の美浦村長や関係者がトレーニングセンター誘致に奔走した話がありました。美浦村が「平成の大合併」で
合併の計画が持ち上がった際にも住民の反対で「村」のまま存続することになったのも、村単独で経営していける
という自信があったから。それはつまり美浦トレセンの存在があったからでしょう。税制面でも経済的な面でも
レーニングセンターが地元にもたらした恩恵は多大なものがあったようです。その意味では当時の美浦村長の
決断は正しかったと言えるのでしょうね。美浦村は現在でも茨城県で一、二を争う裕福な自治体なんだそうです。


他にも競馬場周辺にあった厩舎から人馬を大量輸送するにはどうすればいいか、という困難に突き当たった話など。
当初は鉄道輸送も考えられたそうですよ。西隣の阿見町陸上自衛隊の駐屯地があって、そこに当時は常磐線からの
引込み線が通じていて、それをさらに美浦村まで延伸して馬を輸送しようという計画も実現手前まで行ったとか。
結局直通列車を走らせることができないということで話は無くなり、車両輸送になったそうです。車両輸送が決定
したのはいいものの、また大きな問題に直面することになるわけで…その辺りは本誌をご覧になってみてください。


最後に、今週号に書かれていたのがまた興味深かったですね。なぜ美浦は土地が平坦で、栗東は起伏が激しいのか。
この問題のせいで美浦には角度のある坂路が造れなかったという話ですが、実は当時の概念からすれば美浦の方が
栗東よりも技術的に先進したトレーニングセンターだったから、らしいです。それはどういうことかと言うと、
美浦は上のリンク先でも書いていますが、一時土地問題に揺れて栗東よりもトレセン建設が大きく遅れました。
しかしこの遅れがある意味ではラッキーだったこともあったそうです。それが土木建設技術の進歩という点。
当時は高度経済成長の時期で、全国的にニュータウンなどが次々と造成され、土木技術も年々進歩していった時代。
栗東トレセンが建設された時代には起伏(要するに山や丘)を平地に造成する技術がそこまで確立していなかった。
それが美浦の場合は建設が遅れたことで技術が進歩し、起伏の無いほとんど平面な土地に造成することができた。
それで栗東には起伏のある土地は自然が残ったままそのまま放置されたが、美浦の場合は平坦な土地にされて
非常に広い土地を確保することができたという。面積で言えば栗東よりも美浦の方が断然広いですからね。
また人間にとっての「住みやすさ」「働きやすさ」で言えば美浦の方が優れていると言っていいかもしれない、と。
栗東よりも美浦の方が道路やコース、厩舎団地などが計画的に区画整備されているという。そんなわけで当時の
競馬関係者からは「栗東よりも美浦の方がすごい」と評判だったそうな。当時は坂路の概念すらなかったわけだから
当然と言えば当然だろう。しかし栗東に坂路が完成し、その調教効果が取り立たされて遅ればせながら美浦も導入、
栗東よりも時代が一歩先であったはずの美浦が現在、坂路の傾斜程度で「西高東低」と呼ばれるようになるとは
誰も想像できなかっただろう。これも時代の流れと言えばそれまでだが、何とも皮肉的な話だ。