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競走馬の死は「死亡」ではない?

終面の「有馬記念世相馬券」では
今年死んだマイケル・ジャクソンアグネスタキオン関連の話題。
見出しに、結果的に「夭逝」「急死」「死す」「死んだ」
と1ページに4つの「死」を表す言葉が使われた。


新聞の見出しは同じ言葉の重複は禁物、という不文律がある。
確かに、読者にしてみれば、同じ言葉が1つの面にいくつもあったら
ちょっと頭の中が混乱する。言葉の重みにも関係するのではないか。
それに、アグネスタキオンは馬。
当初、アグネスの見出しに「死亡」が入りかけたが、
動物には「死亡」という言葉は使わない、という決め事がある。
「死亡」は人間が死ぬことをいう。
というわけで、アグネスタキオンは「死亡」から「死す」へと変わった。
そして、見出しの文章を考えて、言葉が変えられた。
新聞作りって、こんなことにも頭を悩まさなければならない。

http://www.tokyo-sports.co.jp/writer.php?itemid=6300

こちらの記事は東京スポーツ校閲担当の方のもの。この中で気になったのが「死亡」の取り扱い方について。
「死亡」という言葉は人間が死ぬことであって、動物に「死亡」という言葉は使わないという決め事があるのだそうだ。
この決め事というのは新聞界においてなのか日本語としてそうなのかはよく分からない。校閲専門でされてきた方だし、
「決め事」という言葉からすると新聞紙上、あるいはマスコミ界における決まりなのだろうか。私はこのブログで今まで
競走馬の死の際には普通に「死亡」と書いてきたが、日本語としておかしいのなら使わない方がいいとも思うし、
あっちの世界だけの決め事であれば従う必要も無いし……とちょっと迷っているところではあります。
まぁ、たかがブログですけどね。あとは見た人がその言葉に対してどう感じるか、言葉の響きと言いますか、
これからもそれを考えて書いていこうとは思っています。「死亡」だとどうしても公的というか第三者的な視点で
少々突っぱねた書き方のような気もしますし、逆にその方がいい場合もあります。強い思い入れのある競走馬とはいえ
人間のように「死去」「逝去」とはどうしてもなりませんしね。・・・やっぱり「死亡」かなあ。