座布団が行司にクリーンヒット

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障害界の名牝 コウエイトライが引退

http://jra.jp/news/201109/092208.html
九州産馬の障害重賞制覇は1980年阪神障害Sのツカサパワー以来26年ぶり(2006年小倉サマーJ)
九州産馬JRA重賞2勝以上はゴールドイーグル以来29年ぶり(2006年阪神ジャンプS
・北海道産以外の内国産馬によるJRA重賞最多勝利記録(それまではビワハヤヒデの7勝)を更新
グレード制以降、障害重賞を制した牝馬は過去にテンビーエースとメジロベイシンガーの2頭(ともに1勝)だけで、
 牝馬ながら障害でここまで活躍したのはかなり稀有な例と言っていい
・2006年から二年連続、中山JG1を走ってもいないのにJRA賞・最優秀障害馬で得票、最優秀4歳以上牝馬でも1票
・障害重賞8勝はグランドマーチスバローネターフの2頭を抜いて、障害重賞単独最多勝記録更新
・JRA史上初の同一重賞V4(2010年阪神ジャンプS
・誕生から「10年5ヶ月12日」での出走は、牝馬の最高齢出走記録(2011年阪神ジャンプS
・障害レースでの通算収得賞金額はゴーカイに次いで史上2位


改めてコウエイトライが残した記録などについて書き連ねてみました。他にもあるかもしれません。
こうして見てみると、本当にすごい馬だったなぁと思います。デビュー当時から振り返ってみましょう。
九州産の新馬としては遅く、年末開催の阪神新馬戦でデビューし5着。血統的にもこの始動は妥当だったのかな。
翌年の6月から連続2着後、7月に初勝利。この頃はずっとダートの1700mや1800mを使われていました。
4歳時には荒尾競馬場霧島賞トライアル大隅特別に出走して3着。そういえば障害で重賞を勝利した後にも
霧島賞出走を目指していたことがありましたね。結局実現しませんでしたが、九州の生産者にとってはやはり霧島賞
非常に大きな目標であったことが分かります。コウエイノホシも出走させようとしていましたしねぇ。
話を戻して、この年の暮れに初めて障害に挑戦し、初戦で勝利。翌年からオープンなどで好走しつつ、
ついにやってきた夏の小倉。2006年小倉サマージャンプで初障害重賞制覇となります。このとき5歳の真っ盛り。
休み明けなどもあって12番人気でしたが見事な勝利。ここでフロックとはならずに、ここから快進撃が始まります。
絶好調時のコウエイトライは恐ろしいものでした。スピードに勝ってハナに立つと、スピードを落とさずに飛越して
そのまま直線に向き、そこで出走馬中最速の上がりでゴールするわけですから、そりゃ他馬は敵いません。
ここから2008年まで安定した成績を残しますが、骨折により2009年は全休を余儀なくされます。
この頃、田所厩舎から山内厩舎に転厩することになります。理由はよく分からないままです。
「田所清広厩舎の」コウエイトライ - 座布団が行司にクリーンヒット
2010年1月から始動し、当初は調子が上がらずさすがに衰えたかと思いきや、夏から徐々に調子を上げ始め
新潟ジャンプS阪神ジャンプSを連勝。9歳にしての復活劇でした。その後また長い休養に入り、
今年8月に復帰しましたがさすがに高年齢による劣化は隠せず、阪神ジャンプS5着を最後に引退となりました。


この馬について常に言われてきたことは、「なぜ中山の大障害コース(JG1)に挑戦しないのか」ということ。
これまで何度も書いてきましたが、適正面から考えて仕方の無いことだと思います。
低いハードルの飛越は上手くセンスがあり、スピードを落とさずに飛んで行くので障害の度に他馬と差がつきます。
しかし高さの上限があると言いますか、これがもう少し背の高い障害となると・・・。
スピードを出したまま思いっ切りぶつかって行ってしまうことになりかねず、非常に危険です。
殊に障害は騎手も馬も一歩間違えれば生死に関わる大事故になります。馬のことを考えれば中山コースを走らせない
という選択は決して間違いではなく、非難をされる覚えもありません。そして、別に強豪と相対するのを
回避していたからでもありません。JG2には幾度となく挑戦してきました。結局勝てませんでしたが、2着は何度も。
仮に中山以外でJG1が開催されていれば間違いなく出走していたことでしょう。中山大障害コースは確かに
日本一素晴らしいコースだと思っていますし、JG1にふさわしい舞台でしょう。しかし、出走したくても適正面で
できないという馬もいる。そういうことをもう少し多くの人に知っていただきたかったと思います。
どうして日本の障害G1は中山競馬場だけなんだろう - 座布団が行司にクリーンヒット


コウエイトライは阪神ジャンプステークス4連覇を目指す - 座布団が行司にクリーンヒット
引退の時期と、繁殖に上がらず乗馬になったという点についても言及しておきたいと思います。
コウエイトライは晩成の馬でした。本格化したのが5歳の時からで、7歳頃まで一線級でバリバリに戦ってきました。
こうなると陣営としては引退の時期を迷ってしまうのは当然のこと。7歳から1年近くの長期休養時期がありましたが
あそこで引退というのもあったかもしれませんが、それまでの戦績があまりにも良すぎた為に引退させることが
できなかったのだと思います。実際、休養明け後の9歳で重賞を連勝するのですからこの判断は間違いではなかった。
昨年からの長期休養ですが、これはもうここの年齢まで来たら、いつ引退しても一緒だったということでしょう。
この馬が晩成型で、一般的な馬が引退するような年齢の時にピークを迎えてしまったのが、繁殖に上がるチャンスを
逃してしまったのでしょう。そして、障害馬が日本であまり評価されていないというのも理由の一つでしょう。
平地の名牝ならばまず間違いなく引退はもう少し早かったと思います。仮にコウエイトライの仔がセールに
上場された際にどこまでの評価を受けていたでしょうか? ただ、馬主の伊東氏はオーナーブリーダーなので、
仔も自分で所有すればいいだけですから、繁殖に上げようと思えば容易に可能だったでしょう。
あえてそうしなかったのは、コウエイトライの高年齢を考え、馬に一番良いことを考えての決断だったのでは。
もちろん私もコウエイトライの仔を見ることができないのは残念でなりません。今はダメでも来年以降、
繁殖に上げくれてもいいんじゃないかという願望すら持っています。しかし、馬自身の幸せを考えてみると
故郷の牧場で大事にされて余生を過ごすというのも、素晴らしいことなんじゃないかと思います。
既に半姉のコウエイロマンは伊東牧場で繁殖に上がっていますし、母のダンツビューティもまだ健在ですからね。
半妹のコウエイソフィアビッグレッドファームで繁殖生活中。この血統が途切れるということもないでしょうから。


コウエイトライはある意味で九州産馬のイメージを変えた馬だったと思います。九州からも強い馬は産まれる、と。
コウエイトライが走りたくても走れなかった中山のJG1制覇は、同じ九州産のテイエムトッパズレに託すことにしましょう。