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今改めて見返すアンカツとルメールの対談記事

長くなったので「続きを読む」機能を。
AJCC裁決の感想と今後への影響 JRAの国際化とか色々 - 座布団が行司にクリーンヒット
上で「シミュレーション」ファウルを例に出してみたが、今回の裁決問題はサッカーにも似ているように思う。
日本では簡単にファウルの笛が吹かれるが、海外リーグでは多少のことでは流されるというような話。
海外チームに移籍する日本人選手や日本代表が外国で試合を行って、そのギャップに混乱する話はよく聞く。
逆に海外からやって来る外国人選手たちは日本人審判の笛の多さに戸惑い、批判することがある。
日本人は少しのアタリにもコロコロと転ぶ。一方でできるだけ綺麗なサッカーをしたがるのというのだ。
海外では審判に見えない所での汚いプレーも求められ、それをいなすことも技術の一つであるという。
また「中東の笛」に代表されるような、一方の国に有利な判定を行う審判も時には出てくる。
競馬でもフランスやイギリスなど世界的に有名なレースが行われる国ですら枠順や馬場コンディションの段階から
露骨に地元馬有利にしようとする動きが無くも無いと聞くし、ラビットが認められていたりする。
こうした違いは外国と日本の感性・国民性の違いによるものだろうし、どちらが正しいと言えるものではない。
しかしそうした大きな「違い」が日本と海外には存在するということは認識しておいた方がいいように思う。


『競馬ブック』で安藤勝己騎手とクリストフ・ルメール騎手が対談 - 座布団が行司にクリーンヒット
こうした「違い」について先日引退を発表したばかりの安藤勝己騎手と、フランスの名手クリストフ・ルメール騎手が
4年前に『競馬ブック』の対談で語ったことがあったのだが、今改めて見返して見ると面白い。
ガラスの競馬場: 安藤勝己VSルメールの対談を読んで(前編)
ガラスの競馬場: 安藤勝己VSルメールの対談を読んで(後編)

ルメール
「フランスにはレース前日から入らなきゃいけない調整ルームはないし、レース当日のジョッキールームではお互いにライバル同士なので、フレンドリーな感じにはなりません。それに、ジョッキー同士がふだん一緒に時間を過ごすことはあまりないんですよ」
安藤
「その感覚は分かるような気がする。プロなら本来、そうあるべきだろうね。日本はふだんから一緒にいるから友達みたいな感覚がけっこうある。僕は、フランス型の方がいいな」

そのようなシステムに対して、安藤勝己騎手は違和感を覚えている。日本の調整ルームがダメということではなく、プロとしてはフランス型の方が良いのではないか。その理由として、以下のように語る。


安藤
「そうね。それに、日本では先輩後輩がいつも一緒にいて、その人たちが一緒にレースに乗る。上下関係がレースのやりにくさを生み、若手が伸びないことにつながっていくような気がする。レースでは本来、先輩も後輩も関係ないはずだけどね。フランスではどうかな?」
ルメール
「フランスではいつも一緒にいますよ。レースは毎日あるからです(笑)。ただ、人間関係は違う。ゴルフや野球を一緒にしたりしないし、レース中は相手が先輩であろうが後輩であろうが関係ない。だって闘いの場ですから。レース後にジョッキールームで話す時は、相手の年齢に合わせた話し方をしますけどね」
安藤
「やっぱり、そっちの方がいいな。外国人の方が総じて明るいしね。調整ルームにしたところで、なくしたほうが若手が伸び伸びやれるような気がする。」


レース中に上下関係がどのようなやりにくさを生むのかという疑問はさておき、それによって若手が思い切ったレースが出来ないというのであれば、それは大きな問題だろう。本来闘いの場であるはずのレースで、勝ちに行かず、ただ回ってくるというレースを繰り返してしまう若手ジョッキーの将来は決して明るくない。調整ルームの存在が(もちろんそれだけではないが)、ジョッキー間の上限関係を増長し、若手ジョッキーの成長を阻むだけではなく、レースそして競馬そのものをつまらなくしている可能性があるのである。

最後に、JRAとフランスにおける処分や降着制度の違い、そしてレースの厳しさについて2人は語る。
安藤勝己
「制度についていえば、JRAも来年度処分についての規定が変わる。その内容には、向かっている方向が違うんじゃないかと思うものがある。フランスでの処分や降着制度はどうなっているの」
ルメール
「日本とは少し違います。レース中に寄って行ったことなどはあまり問題にはなりません。日本では降着になるようなケースでもね」
安藤勝己
「そうだろうね。今年の凱旋門賞なんて、ユタカちゃんは全然競馬をさせてもらえなくて、だけど審議にもならなかったでしょう。あれがふつうなわけでしょう。日本は安全だけど、周りに気を遣うばかりで競争をしている感じじゃない。よその国に行ったら、それじゃ間に合わないよね。そういうところから来ているんだから、外国人ジョッキーにしたら日本の競馬はラクだろうね」
ルメール
「フランスに比べると、とてもイージーです(笑)。ぶつけられたくなかったら外に行けばいい」
安藤勝己
「ああ、そうか。フランスで乗るためには、ふだんからそういう競馬をしていないと難しいということだよね」
ルメール
「ええ。すごくタイトで、スペースのない競馬です。ただ、それはすごくいい経験になると思いますよ」
安藤勝己
「いい経験にはなっても、勝てないでしょう(笑)」
ルメール
「(笑)でも、僕自身はフランス競馬が好きです。そこで闘ったあとに日本へ来ると、やっぱり乗りやすい(笑)。気持ちも開放されるし、調教師の指示もないのでやりやすいし、日本のレースはいつも多頭数だからたくさんのチャンスに繋がりますしね。たとえばG1だと16頭が当たり前に走りますけど、フランスはたった5頭だったりするんです。なぜ日本の騎手は外国に行って騎乗しないのですか。僕には理解できません」
安藤勝己
「行ったって、乗せてもらえないでしょう。もし僕が調教師だったら、やっぱり地元の騎手に乗せるよ。ああいう競馬なら当然、そこに合った競馬をしないといけないからね。地方競馬も、今は中央競馬に倣って変わってきたけど、昔は勝つためには厳しい競馬で当然だった。日本の競馬はだんだん変わってきてしまったと思う。寂しいよ」


「寂しいよ」という安藤勝己騎手の言葉に、全てが集約されていると私は思う。勝つための「厳しさ」が、いつのまにか「危険」にすり替えられ、安全安心に乗ることだけが求められる。勝ちに行けば危ないと罵られ、知らないところでありもしない誹謗中傷をされる。あれもダメ、これもダメでは、勝つためにジョッキーはどうすれば良いのか。ただ馬に掴まって回ってくるだけであれば、ジョッキーはただのギャンブルの駒に成り下がってしまう。郷に入っては郷に従え、中央では中央のルールがあるのだから仕方ないと言ってしまえばそれまでだが、それではあまりにも寂しすぎる。

言葉は柔らかいし本人にその気は無いのかもしれないが、日本人騎手よ、ルメールに馬鹿にされてんだぞ。
「フランスに比べると、とてもイージーです(笑)。」なんて思われてるから好き勝手にやられるのだ。
実際にそうなのだから仕方ない。日本での‘クリーン’な競馬は乗ってる方からすれば乗りやすいし
安全で事故も少ないかもしれない。それを乱すものが現れれば非難が殺到することだろう。
しかし乱入者である外国人騎手が結果を出しているという否定しようのない事実が重くのしかかる。


ある意味で地方から中央への乱入者である安藤勝己騎手も同様の意見であり、JRA騎手の現状に批判的だ。
JRA降着などの処分についても懐疑的に見える。ちなみに安藤騎手は2003年に中央移籍を果たして
初年度からリーディング3位、その後も毎年のようにリーディング上位に名を連ねる活躍を見せた。
一方で制裁点を見てみると「再教育受講命令」が下される30点越えとなった年はなんと
2003年から2010年まで8年連続。2004年には一度30点を越えて「再教育」を受け点数がリセットされたが、
さらにもう一度30点、通算60点をゲットして二度目の「再教育」受講となっている。
ちなみにこの年はキングカメハメハNHKマイルC東京優駿を勝ち初めてダービージョッキーになり、
中央GI4勝を含むGI競走7勝でリーディング3位となった年である。一方で制裁点に関する批判も多かっただろう。


そんな安藤勝己騎手も中央移籍10年間で実績を積み重ね続けて、今となってはJRAでも伝説的な騎手となった。
現在では同じく地方競馬出身で、同様に制裁が多く批判の的とされることもある岩田康誠騎手が大暴れしている。
地方出身騎手や外国人騎手が日本で実績を残す一方で、海外の舞台となるとなかなか結果を残せない日本人騎手。
海外に腰を落ち着けて騎乗する騎手がいないことも要因だが、なかなか挑戦しようとする騎手も出てこない。
オルフェーヴル凱旋門賞挑戦に際して池添謙一騎手からクリストフ・スミヨン騎手に乗り代わりとなり
ファンの間でも様々に意見が交わされたが、陣営が乗り代わりを決めたのは結局のところ
海外で経験が無い池添騎手では物足りないと判断されたからだ。対談内で安藤騎手が海外に挑戦する
日本人騎手に対して「もし僕が調教師だったら、やっぱり地元の騎手に乗せるよ。」と語った言葉には
トップクラスの騎手としての重みがある。「ああいう競馬なら当然、そこに合った競馬をしないといけないからね。」
http://hochi.yomiuri.co.jp/horserace/news/20130124-OHT1T00211.htm
池添騎手はオルフェーヴル凱旋門賞に挑むために、4月から2ヶ月間フランスで騎乗予定だという。
夢を掴むために挑む姿勢は応援したい。しかし、たった2ヶ月で全てを身に付けられるとも思えない。
何度も海外で騎乗する武豊騎手ですら凱旋門賞のような大レースでは自分の競馬をさせてもらえないのだから。
オルフェーヴルに騎乗できるかも今は未定だが、修行の成果が出ることに大いに期待したいとは思う。


話を「裁決ルールの変更」に戻すが、もしJRAの思惑通り「カテゴリー1」の裁決基準が日本でも浸透すれば、
わざわざ海外に遠征せずとも日本国内で「外国レースでも通用する技術」が磨かれるようになるかもしれない。
裁決ルール変更、国際化とはつまりそういうことだ。そうなるのなら国際化の波も肯定的に受け止められる。
しかし周囲が裁決に批判的なまま、JRAも世論に押されて形だけのルール変更で変化が無ければ
今回のルール変更も形骸化してしまうだろう。それならそれでもいいと私は思っている。
何でも国際化すればいいという話ではない、というのは私の持論だからだ。日本は日本の基準でやればいい。
ただし今のままでは外国で通用する日本人騎手が育つことはないだろう。JRAの騎手が地方競馬でも
騎乗できるようになればまた違ってくるかもしれないが。そして海外レースは外国人騎手に任せるか、
経験不足の危険を承知で日本人騎手に任せるか、今までのようにどちらかを選択するしかない。
…自分で書いてきて少々極論のようだが、地方競馬出身騎手や外国人騎手とJRA騎手との間に
技術的・精神的な差があるのは事実。それを変えようとするのであれば、大きな変革は必要だろう。