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佐賀競馬90年代の名馬キングオブザロードが死亡していたことが判明

キングオブザロード | 競走馬データ - netkeiba.com
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最近まで全く知らなかったのですが、ネットで「死亡した」というページを見つけて驚きました。
その後、繋養されていた『福岡馬事公苑』さんに直接連絡することが出来まして、確認が取れました。
3〜4年前のことだそうです。一度見学に行ってみたいと思っていただけに残念でなりません。
私が佐賀競馬に興味を持ち始めたのがキングオブザロードの頃。しかし現地で走る姿を見ることはできませんでした。
それでも「佐賀競馬で強い馬」といえばキングオブザロードだというイメージはしっかりと残っています。



キングオブザロードは1994年に佐賀競馬でデビュー。3歳(現2歳)時は2勝止まりでしたが、
明けて4歳のニューイヤーカップで初重賞制覇、さらにその年の栄城賞(九州ダービー)を勝って4歳チャンピオンに。
佐賀菊花賞(現・ロータスクラウン賞)ではリンデンニシキの2着だったが、その後は(途中名古屋に移籍したが)
佐賀のトップとして君臨し続けました。小倉日経OPやプロキオンSなどで中央遠征の経験もあります。
ただ輸送に弱かったらしく、あまり他地区へ遠征に行くことはできなかったそうです。



リンデンニシキ | 競走馬データ - netkeiba.com
キングオブザロードと切っても切れない関係にあったのが宿命のライバル、リンデンニシキの存在です。
前述のニューイヤーカップと栄城賞で2着だったのがリンデンニシキで、佐賀菊花賞では土をつけられました。
その後もこの2頭は大レースで相見えています。その中でも注目は1996年の佐賀記念交流重賞初年度である
この年は「開設記念」として行われました。JRAからはマルカイッキュウやグリーンサンダーなどが参戦。
雨の不良馬場を先頭からお終いまで逃げ切ったリンデンニシキと、差して3着を確保したキングオブザロード。
当時の佐賀競馬場で地元ファンの喜ぶ姿が想像できます。その後佐賀記念は16回を経ましたが、
地元佐賀勢の優勝はありません。リンデンニシキやキングオブザロードの夢をもう一度…というのがファンの願いです。
この2頭くらい強い馬がまた佐賀から出てきてくれないかなぁ。デビューからの生え抜きで強い馬も最近は少ないです。
web Furlong 2011【REWIND 90's】第14回 1996年 開設記念(動画があります)


キングオブザロードの話に戻りますが、父ブラックスキーはマルゼンスキーの仔でマーチS新潟記念の勝ち馬。
現役時代は怪我に泣かされ、無事ならば大レースも勝てていたと評価されることの多い馬です。
引退後は種牡馬として主に地方の名馬を輩出しました。キングオブザロードだけでなく、
東海地区で無類の強さを誇ったハカタダイオーや、大井のトップタイトル、浦和のショウブパワーなど。


引退後、福岡馬事公苑では乗馬として競技大会でも活躍していたそうです。大人しく初心者にも優しかったそう。
地方競馬ではJRA以上に名馬でもその後の行方が分からなくなる例が多い中、キングオブザロードは
その後の明確な行き先が分かっていたのは良かったですね。ファンの見学も多かったそうです。
馬齢では17〜18歳くらいですから長生きした方でしょう。存命中に会いに行けなかったのが心残りです。