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日本競馬史に残る意外な「史上初」

サラブレ』11月号に「競馬はじめて物語」という特集がありました。意外にも知られていない「史上初」の記録が載っていました。
その中でも私の中で印象に残った記録を紹介します。


日本馬の海外初勝利はハクチカラではなかった!?
一般的に日本調教馬の海外初勝利は1959年米国のワシントンバースデーハンデキャップを制したハクチカラだと言われてきた。
この遠征でモンキー乗りを習得した保田隆芳騎手が帰国後に初めて披露し、以降天神乗りに代わり浸透していったとされている。
(そのお話にもやや事実と違う面があったらしいのだが、この件については後述する。)


実は遡ること50年前の1909年9月に、ロシア・ウラジオストックで行われた「日露大競馬会」に日本馬50頭、騎手20人が遠征していたそうだ。
ここでかの有名な安田伊左衛門(安田記念の人)が所有する帝室御賞典馬スイテンが5戦全勝の成績を収めている。
前年1908年までにおける日本の競馬は政府公認法人による公認競馬・祭典競馬の開催のみが許可されていた。
馬券の発売については黙許されている状態にあり、法律で販売が正式に認められているわけではありませんでした。
しかし同年1908年に日本初の競馬閣令「競馬規程」により一時的に馬券の発売が禁止。1910年に改正されて各地に「競馬倶楽部」が誕生し、
政府の補助金の元に主催されて競馬が再開されたが、1909年は法改正の谷間で競馬資源が宙に浮いた状態になってしまっていたのだ。
この状態を解消しようとイギリス人C・ダウンという人が発案したのがこの「日露大競馬会」で、まず神戸市に烏港競馬倶楽部を設立して
遠征馬・騎手・競馬ツアーに参加する日本人を募ったという。スイテンは日本馬やシベリア産馬を相手に勝ちまくった。
法律改正の割を食った競馬関係者が考えた苦肉の策だったのかもしれないが、これが偉大な「史上初」となったのだ。
日露大競馬会 - Wikipedia
スイテン - Wikipedia


世界初の女性騎手は日本人だった!?
この場合の世界初とは草競馬などでの騎乗ではなく、競馬会などで正式に騎手免許を取得した騎手のことを指していると思われます。
その人の名は1936年に京都競馬倶楽部で騎手免許を取得した斉藤澄子さん。以前ブログで書いたことがあります。
日本初の女性ジョッキー 斉藤澄子騎手 - 座布団が行司にクリーンヒット
その30年後の1968年に米国でペニー・アン・アーリー騎手が騎手免許を取得しますが、男性騎手がレースをボイコットしてデビューできませんでした。
男尊女卑の時代、日米初の女性騎手たちは一度もレースで騎乗できないまま引退することになります。


日本における外国人騎手第1号
モンキー乗りを日本に広めたのは保田騎手と上で書きましたが、日本で初めてモンキー乗りを披露したのは保田騎手ではなく、
1955年に中央競馬で初めて外国人騎手として騎手免許を取得したロバート=アイアンノッティという騎手だったそうです。
イタリア系アメリカ人のアイアンノッティはアメリカで騎手として活躍していましたが、第二次世界大戦により徴兵されます。
終戦後日本に駐留兵として滞在していましたが、従軍中に体重が7kg増えて52kgに。当時アメリカでは騎乗できない体重だったそうだ。
日本に馴染みつつあったアイアンノッティは馬主・河野信一氏を仲介して矢野幸夫厩舎に所属。1955年3月5日に東京競馬場で初出走を果たし、
いきなりデビュー戦を勝利で飾る。天神乗りばかりの日本人騎手の中で本場アメリカのモンキー乗りはセンセーショナルだったに違いない。
しかしその後は戦後直後の反米感情や保守的な競馬村の影響もあって騎乗馬が集まらず、その年の10月、22戦1勝の成績で1年未満の騎乗を終えた。
帰国後も騎手を続けたという。