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種牡馬サイレントハンター死す

http://jra.jp/news/201409/091701.html
サイレントハンターが九州種馬場で死ぬ - 競馬ニュース : nikkansports.com
http://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2014/09/18/kiji/K20140918008946610.html
サイレントハンターが九州種馬場で死亡 - 予想王TV@SANSPO.COM
現役時代の話は他の方にお任せして私は九州の馬産地にやって来た種牡馬サイレントハンターを語りたいと思います。


サイレントハンター引退当時の2001年はサンデーサイレンス直仔の種牡馬がちらほらと出て来始めた頃。
九州の地でも流行りのサンデーサイレンスの血を求めて、個人牧場では独自にサンデー系種牡馬を導入していました。
アサクサゴーフルエックスコンコルドサンデーズショウダンツサイレンスリンデンパッションなど……。
しかしこれら種牡馬はあくまで個人牧場繋養で現役時代の競走実績も乏しく、種付け数も少ないものでした。
ここにやって来たのがJRAで重賞勝ちの実績があり、JBBAが導入したサイレントハンターでした。
G1勝ちこそ無かったものの大阪杯をはじめとして重賞4勝。しかもサンデー直仔ということで馬産地では人気に。
2005年の産駒デビュー時には佐賀で重賞を勝ち、のちに霧島賞も制すナセなどを輩出しましたが、
JRA夏の小倉戦線では好走こそすれど初勝利が遠く、産駒のJRA初勝利は2007年のハンターキリシマまで待つことに。
2009年にはパリスドールひまわり賞を制しますが、産駒数の割に勝利数が少なかったのは正直な感想です。
2007年から2008年まで静内種馬場に異動しますがこの時既に北海道での需要はなく、また九州に戻ってきます。
その後は九州でも種付け数は伸びず、年に数頭という年度が続いていました。
小倉芝1200mが主戦場のJRA九州産戦線には合っていなかったのかもしれません。
現役時代は早熟なタイプでもありませんでしたし、2歳から即活躍を求められると苦しかった気がします。


仮に最初から静内で種牡馬入りしていたとしたらまた違う運命になっていたかもしれませんが、
当時サンデーサイレンスの血を求めていた九州の需要には合致しており、その意味では悪くなかったと思います。
ただ思った以上に産駒が走ってくれなかった。母父バンブーアトラスが重すぎたのかなぁ。