障害馬のことを調べていて昔の九州産馬の馬名を見つけたので書いておきます。
時代はバラバラ、地方と中央も一緒くたで中にはアラブも混じっている可能性もありますが
とりあえず箇条書きでここに記録しておくことにします。平場の重賞勝ち馬だけは分かっています。
種牡馬も同じです。とにかく名前が分かったものを書いてみますので。
※なお、こちらに馬名がある馬は除きます。
現在は九州にいない、もしくは引退した種牡馬 - 座布団が行司にクリーンヒット
現在は九州にいない、もしくは引退した種牡馬(新情報のみ) - 座布団が行司にクリーンヒット
2005-08-22
競走馬
キングスピード(京都新聞杯)、フエロースピード(小倉大賞典)、ニルキング(デイリー杯3歳S)、
ゴールドイーグル(大阪杯・マイラーズC)、ケンセイグッド(日経新春杯)、コウエイロマン(小倉2歳S)、
ビンチトール(タマツバキ記念)、トキノリバティー(セイユウ記念)、ヨドノチカラ(タマツバキ記念)、
テツミノリ、ゲキソウ、オサイチテット、ソウキジン、ツキノタイシ、ケンセイダイヤ、トリコロール、
トイノミサキ、ウットマン、ダンツセントー、ヨシノトップ、スマノダイドウ(アラ)、ウイニングヒロオー、
カノヤウルフ、ナンシンエクセラー、マルシゲファイター、ツカサパワー、
カノヤミノリ、マークキングオー、アイティースワロー、マルシゲサンスーシ、オサイチセイダイ、ヨシノサキガケ、
ナンシンエクセラー、ヨシノアンズ、コウユーアサミ、マルシゲガリバー、カシノリファール、スパイシードール、
ユメノセテコウユー、レンド(帝室御賞典ほか)などなど……
ゴールドイーグル
カブトシローの代表産駒。72年に大井競馬場でデビューし、東京ダービーで16着に敗れるまで9連続連対。
その後各地を転戦し76年に中央の伊藤雄二厩舎に移籍。マイラーズC2着などを経て翌年大阪杯、マイラーズCと連勝。
その年の天皇賞春にも挑戦したがさすがに距離が長すぎたか3番人気で14着大敗(優勝テンポイント)、引退した。
ダンツセントー
九州産新馬を使わず一般新馬でデビューさせているあたり、かなり期待さえていたことが伺われる(連続2着)。
初勝利は翌年の未勝利戦となったが次のたんぽぽ賞を連勝し、アネモネSに挑戦してなんと優勝。
桜花賞でも6着に健闘。オークス、エリザベス女王杯にも挑戦したがさすがに距離が長かったようだ。
最後のレースのターコイズSでも2着に入っているあたり、現役を続けていればかなり期待できたと思われる。
ヨシノトップ
現役で同名の馬が走っているがこっちが初代。堅実に走り続け自力でオープンまで上り詰めた。菊花賞にも出走した。
スマノダイドウ
知る人ぞ知る園田アラブの名馬。デビューは佐賀だった。引退後は種牡馬としても大成功を収めた。
マルシゲファイター
マークオブディスティンクション産駒。ひまわり賞では勝てなかったが京都3歳S4着、つわぶき賞(500万下)優勝。
そしてシンザン記念で2着したが、その後奮わず。
カノヤミノリ
こちらも自力でオープンまで勝ち進んだ1頭。小倉日経オープン3着など。
マークキングオー
マークオブディスティンクション産駒。ひまわり賞でマルシゲファイターなどを抑えて優勝した。
札幌3歳ステークスで3着に入ったが、ここまで。
ヨシノサキガケ
アンズプリテンダー産駒。準オープンの身で様々な重賞に格上挑戦、そこそこ頑張った。
種牡馬
ヤマニンボールド、センシュウルル、エリモオー、エイシンタウラス、キーミノブ、コウエイダッシュ、
ストームオンザルース、スルーオダイナ、タツミマーチ、タニノスイセイ、ネーハイジェット、ニホンピロヤマト、
ハクヨウコマンド、ハクタイセイ、ブライトインター、ブラックスキー、ホクトフラッグ、ボルグスキー、ズグ、
ライフガード、リボオール、ヒロタケ(アラブ)、ピットヒヤク(アラブ)、フルーロンドベルサック(アラブ)、
ニルコス、グッドリー、アンズプリテンダー、ミヤジマレンゴ、ハッピープログレス、ラインゴールド、コダマ、
グランディ、カシノエイト、シルバーネロ、スーパキングアケミ、タニノムーティエ、ティットフォアタット、
クリスタルパレス、カブトシロー、ミリオンパラ、ニッポーキング、グリーングラス、ヒカルイマイ、バルビエリ、
ジャッジャー、メイジシロー、シンブラウン、ネヴァードウエルなどなど……
意外な名馬が九州に来ていたことがあるんですよ。九州で亡くなった馬も多数います。間違いあれば指摘願います。
この中から特に取り上げていくつか紹介してみようと思います。
ニルコス
90年代前半、マークオブディスティンクションやシンウルフ以前に九州に一大旋風を巻き起こした種牡馬。
ハッピープログレス
スプリンターズS、京王杯スプリングC、安田記念の「春の短距離三冠」を制した馬。
後輩のニホンピロウイナーとの対決は、1勝しかできなかったが何度も激闘を繰り広げた。
種牡馬としては目立った成績を残せなかった。シンウルフが来たおかげで段々と種付けも減っていったのである。
カブトシロー
元祖「新聞を読める馬」。ゴールドイーグルの父。種牡馬引退の時に危うく処分されかけ、
JRAはファンからかなり厳しい抗議を受けた。これをきっかけに引退名馬の繋養制度が成立したという。
また、園田で大活躍したアラブのスマノダイドウが、九州産馬にしてはあまりに強すぎたため
テンプラ疑惑が起こった。その本当の父がカブトシローではないかと噂された。
グリーングラス
佐賀で余生を送った。種付けも依頼があればわずかながらこなしていたようだ。
一度は見学に行きたかったのですが、死亡のニュースを聞いて凹んだなぁ……。