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元・騎手の安田富男氏は今

安田富男 - Wikipedia

通算8293戦752勝の成績を挙げ、おもな勝ち鞍にグリーングラスで制した1976年の菊花賞がある。オッズの低い騎乗馬でしばしば好走を見せ、「穴男」、「泥棒ジョッキー」などと称された。史上初めてJRA全10競馬場において重賞を勝利した記録も持つ。
(中略)
1947年、千葉県船橋市生まれ。中学校在籍時より、母の知り合いであった中山競馬場の加藤朝治郎厩舎に住み込みで働いていた[1]。卒業後の1963年4月に東京都世田谷区馬事公苑の騎手養成長期課程に第14期生として入所。入所時の身長は115センチメートル、体重28キログラムと非常に小柄だった[2]。同期生には小島太田島良保目野哲也池上昌弘平井雄二らがいる。
馬事公苑時代は授業を真面目に受けないなど不真面目な面があり、また小柄過ぎたために成長を待たされたこともあって、騎手免許を取得したのは小島、田島から2年遅れの1968年であった[2]。なお同期ではほかにも池上が1年遅れの1967年、平井が3年遅れの1969年の騎手デビューであった。

安田富男さんといえば元祖・穴男として知らない競馬ファンはいないジョッキーです。
とはいえ引退してもう10年は経つので最近の競馬ファンは知らなかったりするのかな。
引退後は競馬評論家として…というより怪しげな競馬予想会社の「顔」になっていた印象の方が強かったです。
そういえば大西直宏さんも引退してからは予想会社の宣伝マンとして稼いで、現在は育成牧場長になられてましたね。
97年ダービーVの大西氏が育成牧場で奮闘 - 競馬ニュース : nikkansports.com
実は安田富男さんも現在は育成牧場を経営されているそうです。『東京スポーツ』系列紙で現在進行形で
安田富男氏の特集が連載されています。那須にある地方競馬教養センターに付設する形での育成牧場で、
名前は『TOMY』、南関東の認定厩舎(外厩)としても認定されており、何頭か管理しているそうだ。
奥さんと従業員2人をあわせた4人で働く。「やはり馬に関わる仕事がしたい」と一念発起し、
那須にある貴悦牧場で場長などをしながら経験を積み、ノウハウを得て独立したんだそうだ。
この特集では安田さんの生い立ちから現在に至るまでのプロフィールを連載中だが、Wikipediaには載っていない
面白いエピソードも語られていた。中学時代に中山競馬場の加藤朝治郎厩舎に住み込みで働く前に、
同じ船橋市内にあった船橋競馬場にも行ったことがあり、そこで当時調教師をしていた伝説の騎手・函館孫作氏の
眼鏡にかない、実家まで函館氏がスカウトに来たのだそうだ。これが競馬との最初の出会いだったとか。
それで一時期函館厩舎でも働いていたらしいが、自身のサボり癖により辞めざるをえなくなったらしい。
連載はまだ続いているので興味のある方はどうぞ。現役時代の鞍のプレゼントもあるみたいです。