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元・ゼンリン会長、大迫忍氏死去

株式会社ゼンリンの前社長・最高顧問であった大迫忍氏が亡くなったという訃報を耳にしました。
ご冥福をお祈りします。
ゼンリンは有名な会社だし、「プロジェクトX」にも出演。競馬ファンにはゼンノの馬主さんとして馴染み深い。
九州馬主会の会長さんでもあった大迫氏。亡くなってから改めてその偉大さを感じます。
「長期政権は弊害を生む。55歳で引退する」との宣言通り、2001年4月に社長を退き、代表権のない取締役となった。同6月には取締役も引き、経済界の活動に軸足を移した。2000年12月に閉店した小倉、黒崎両そごうの後継テナント誘致に力を注ぎ、北九州都心開発を設立、小倉には伊勢丹、黒崎には井筒屋の出店を実現した。
いくつか訃報の記事を読みましたが、地元財界などにかなり貢献されたんですね。
プロ野球関係にも親交があり、北九州市民球場でのプロ野球の試合の興行を取り仕切っていました。
またその人間性に感動されたという方も多かったようです。
18日亡くなったゼンリン最高顧問の大迫忍さんは、どこか大陸的な雰囲気を持つスケールの大きな経営者だった。それは、幾多の修羅場を経験してきたからかもしれない。大迫さんが30歳前後で専務だったころ、会社に大事件が起きた。幹部社員が100枚の白地手形を持ち逃げしたのだ。金融業者から「手形を持っている」と連絡があって発覚した。市中に出回り、1枚でも払いきれない金額が書き込まれていれば、会社は倒産してしまう。社長の父親が言う。「社員の不始末は経営者の責任。跡取りはお前だ。回収するなら一人でやれ。嫌なら会社をつぶしてもいい」。腹をくくった。手形の買い取り費用を1枚500万円、合計5億円と見積もり、銀行から資金を調達した。手形は暴力団関係者にも渡っていた。「不渡りをだしてウチが倒産すれば、手形は紙切れになるだけですよ」。日本刀で脅されたり、殴られそうになったり。それでも、ひたすら頭を下げ、すべての回収を終えたのは2年後だった。
今後、所有馬はどうなっていくのでしょうか。いつも次男の基弘氏が代理で馬主席に座っていたそうですが。
できれば馬主業廃業なんてしてほしくないんですけどねぇ。ゼンノの冠名、続いてほしい。