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小田切オーナーと音無師

音無秀孝調教師は苦労人である。
当初はコックになる為に大阪にやって来たらしいです。そこで18歳にして騎手を志すことになる。
そういえば岩元調教師は最初、花屋さんをしていたらしいですよね。競馬と全く関係無いんだよな。
自分より若い騎手候補生達に囲まれての修行。しかも3回も騎手免許に落ちています。
25歳でやっと騎手になれたと思ったら、なかなか勝てない。初勝利はデビューから1年4ヵ月後だったそうです。
せっかく念願の騎手になれたのに待っていたのは厳しい勝負の世界。そんなどん底の時期に
手を差し伸べてくれたのが小田切有一オーナーだったそうです。


騎手2年目で出会った小田切オーナーの所有馬、ミスラディカル。重賞4勝、G1でも好走しました。
この馬のおかげでその後ノアノハコブネとの出会いが生まれたというわけですね。
1年半目の初勝利をあげた時の騎乗馬はヒノサト。重賞初勝利はミスラディカル
G1初勝利はノアノハコブネ。そして厩舎開業して12年目、調教師としてのG1初勝利がオレハマッテルゼ。
これらはすべて小田切氏所有の馬たちなのです。小田切氏もまた、音無師に全幅の信頼を寄せている証拠でしょう。
音無師の騎手時代の成績は14年間で1212戦84勝。お世辞にも「上手い騎手」ではありませんでした。
しかしこの時代が無ければ小田切氏との出会いや多くの経験無かったわけで、
今現在調教師として日本のトップに立つ存在にもなれなかったかもしれないですよね。


音無師が騎手時代にお世話になっていたのが田中良平調教師(田中章博調教師の父)でした。
ノアノハコブネ田中良平厩舎でした。現在も小田切氏はデンシャミチなど
田中章博厩舎に馬を預ける事が多いです。音無師にとって章博師は兄弟子。
ここで小田切氏と初めて出会ったわけですが、小田切氏は見習時代から音無師の人柄にほれ込んでいたそうです。
田切氏は情に厚い、気持ちで馬主をやっている方ですからね。それが馬にも現れている気がします。
ノアノハコブネ予後不良になった後、旧約聖書の創世記で「ノアの箱舟はアララット山に辿り着く」と
されていることから、ノアノハコブネが天寿を全う出来なかった事への手向けとして
後の持ち馬にアララットサンと名づけた事は有名な話です。熱い人なんですよ。


音無師ととても仲が良いのが橋口調教師。同郷、宮崎県出身で栗東の天狗山(トレセンの調教スタンド)で
いつも世間話に花を咲かせているらしい。ものすごい冗談を言い合ってバカ笑いしているそうです。
高松宮記念前日、ドバイでは橋口師がユートピアでの快挙。祝福の電話を音無師が入れると
「君も頑張れよ」と逆に励まされたそうです。そして高松宮記念。連日の快挙に二人とも嬉しかったでしょう。


さて、オレハマッテルゼはというと京王杯SCから安田記念のプランがあるようです。
しかし夏はあまり走らない馬なので安田記念は今はまだ微妙とのこと。スプリンターズSを目指すのかな。


今後も音無師、小田切オーナーともども皆さんの躍進を期待します。
以前見た『2ちゃる騎手』で小田切氏と音無師を描写しているような文章がありましたが、
あれはちょっと過大に書きすぎているような気がしました。
だって、これほどの信頼関係があるお二人ですからね、馬名程度で揉めたりはしないでしょう(笑)
今後も小田切氏の面白い馬名を楽しみにしております。
(今回の記事の参考:ギャロップ誌、トーチュウなど)