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エイシンイッキが平地着差日本記録を更新

http://www2.keiba.go.jp/KeibaWeb/TodayRaceInfo/RaceMarkTable?k_raceDate=2010%2f02%2f06&k_raceNo=1&k_babaCode=32
移籍初戦のエイシンイッキがスタートから先頭に立つとスピードの違いを見せつけもったままの圧勝。
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これがどうやら平地における2着までの着差日本記録ということらしい。そういう記録が正式に存在するのかと
ネットで調べてはみましたが、ウィキペディアくらいしか見つけられませんでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%80%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

最高平地着差勝利 エイシンイッキ 5秒3差 2010年2月6日 佐賀競馬場第1競走

ちなみにキャッシュによると、それまでの日本記録は現在も兵庫の一線級で活躍するキーポケット
そのデビュー戦で記録したものでした。これも割と最近のものなんですね。

最高平地着差勝利 キーポケット 4秒6差 2006年12月28日 園田競馬場第1競走


さてそのエイシンイッキですが、中央では2歳時にOPのさざんかSを制してはいるものの、3歳後半で古馬混合と
なった準OPで勝てず、翌年から降級した1000万下で走り続けて掲示板に載ることすらできず。ただ決していつも
大敗していたわけではなく勝ち馬と僅差の勝負も多く、5歳となった昨年中央最後の2レースではいずれも
7着だったものの勝ち馬と0.3秒差という非常に高いレベルの競馬をしていたわけです。そんなわけで地方に
移籍してもの上のクラスで十分通用するだろうという目論見で笠松に移籍したのであろうと思われるわけですが、
年内に笠松オープンクラスで2戦していずれも人気を裏切る結果に(それでも移籍初戦は0.6秒差程度)。
年が開け、心機一転佐賀に移籍。クラスは最下級からのスタートとなってこの圧勝となったわけですが、
これまでの戦績やレース内容からすればある意味当然。中央1000万下で僅差の勝負をしていた馬が佐賀最下級に
やって来れば、そりゃ。しかし、なぜ中央で1000万下クラスだった馬が佐賀の最下級を走ることができるのかと
いう疑問は佐賀競馬の編成要領を知らない人からすれば不思議な話でしょう。そんなわけで少し説明。

年が変わったんで、クラス移動する馬がでていますね。番組編成要綱によると、
・6歳馬については、6歳になった時点で2歳時の収得賞金額を全額減額
・7歳馬については、7歳になった時点で3歳時の収得賞金額を全額減額
・8歳馬については、8歳になった時点で4歳時の収得賞金額を全額減額

http://d-a.blog.so-net.ne.jp/2007-12-26

これは2007年12月当時の編成要綱ですが今も大きく変化はないでしょう。エイシンイッキも年が開けて6歳となり
中央2歳時に新馬勝ち・500万下2着・さざんかS勝ちと稼いできた賞金がカットされたのです。3歳から5歳まで
一円も賞金を稼いでいないのでこの段階でエイシンイッキの持ち賞金はゼロ、最下級C2に格付けされたわけです。
仮に三冠馬だったとしても4歳から6歳までの間に長期休養などで賞金を稼いでいなければ佐賀では7歳になれば
最下級からスタートできるわけですね。このような賞金カットは佐賀だけでなく各地方競馬で行われています。
もちろんその要領は各地で異なるわけで、もっと上のクラスに編入される競馬場もあるかもしれません。
佐賀に移籍した理由としては最下級からスタートできること、佐賀競馬の下位クラスのレース編成がこの馬の
主戦場である短距離しか存在しないことから佐賀移籍となったのではないでしょうか。


佐賀でちょっと分かりやすい他の例を挙げると、2歳時に若駒S、3歳時にポートアイランドS、4歳で準OP大原Sを
制していた超良血馬モノポライザーは、7歳の暮れに佐賀移籍した当初は3歳時までの賞金カットを受けてもまだ
A級を走っています。大原S勝ち分の賞金がまだ残っていたのですね。2戦して3着4着と好調子のまま年が明け、
8歳となった2007年に最下級C2まで降級しました。これは4歳時までに獲得した賞金がカットされたからでした。
中央5歳〜7歳まで賞金を稼いでいなかったのですね。その後モノポライザーは佐賀で9勝を挙げB2級まで
クラスを上げたところで故障を発生し引退となります。一方で、全日本2歳優駿を制したがその後精彩を欠き
去年佐賀に移籍したアドマイヤホープは、それでも4歳でオープンの米子Sを勝ち、後に障害に転向して好走を
繰り返したため古馬時代にも確実に賞金を積み重ね、同じ6歳で移籍して2歳時の賞金を全額減額してもA1に
格付けされました。その後1戦もしていないないので恐らく引退したのでしょうが、仮に今年、あるいは来年出走
したとしても、古馬の時期に障害で稼いだ賞金が残っているのでA級のままだったのではないかと推測されます。


この賞金カットはよくできた制度だと思います。中央地方問わず6歳以上の馬が若い頃に稼いだ賞金が重荷となり
そのクラスで頭打ちになっていても賞金カットで下のクラスに編入され再出発することができるわけですからね。
佐賀で言えば過去3年間の実績は加味され、4年以上前の実績(賞金)がカットされるということですから
それで十分だと思います。賞金カット時期の目安としてもちょうどいいんじゃないですかね。


話をエイシンイッキに戻しますが、この馬の場合は近走内容は濃かったものの賞金を加算していなかったために
賞金カットによって最下級C2の23組に出走できたからこそ達成された記録と言えるわけですね。これで佐賀競馬
地方競馬)とJRAの格差が激しいとかいう話に直結させるのは危ないんじゃないかと。もしもの話ですがこのまま
佐賀A級で走ったとしても同じような結果は出なかったでしょう。笠松オープンでもそこそこ走っているので
好走はしていたでしょうけどね。今後佐賀に留まるのか、もっと上のクラスで走ることのできる競馬場に移籍する
かは分かりませんが、個人的にはモノポライザーのように連勝を続けて、どうせならインターハイクラス
連勝記録の更新を目指すくらいの意気込みで走ってほしい。モノポライザーですらB級に差し掛かったところで
連勝がストップしてしまったくらいで、なかなか大変な記録なのです。これからも頑張ってほしいですね。