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2003年フェニックス賞に挑戦した佐賀のヨシノキャロルという馬がいた

フェニックス賞の時期になると、九州地方競馬ファンが盛り上がる話題があります。
前述のグレートザランやオーシャンハイの好走はもちろんなのですが、それ以上に毎年話に上がるのが、
2003年に出走したヨシノキャロルという馬です。この時は10着という成績でしたが、その内容が凄かった。
ヨシノキャロル | 競走馬データ - netkeiba.com
フェニックス賞|2003年08月09日 | 競馬データベース - netkeiba.com
ヨシノキャロルはデビュー戦でたった900mしかないのに2着に1.1秒つけて圧勝しフェニックス賞に向かってきました。
その強みは何と言ってもテンの速さ。この年は後のG1馬メイショウボーラーが勝ったのですが…見て頂きましょう。
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メイショウボーラーはこのフェニックス賞含めデビュー以降4連勝、そして皐月賞までそのスピードを活かして
ほとんどでハナに立っているわけですが、唯一ハナに立てなかったのがこのフェニックス賞でした。
メイショウボーラーを退けてハナを叩いたのが牝馬のヨシノキャロル。スタートから押して先頭に立つと、
向こう正面のコーナー手前までは大差をつけて逃げます。しかしコーナーを回るとあっという間に失速、
直線で馬群に沈んでしまいます。このレースっぷりから「ベスト距離は600〜800m」と言われました。
ヨシノキャロルはその後も「適性:超短距離」なレースを繰り返します。ハナには立つものの失速して大敗、
というレースを繰り返し、2勝目を挙げたのは翌年の3月になってからでした。スピード能力はずば抜けたものが
あったのは間違いないのですが、如何せんギリギリ800mまでしか持たない。900mでも失速し始めている感じ。
「前半は大差で逃げて後半大失速」という破滅的なレースを繰り返したお陰でコアなファンは増えましたが、
佐賀では32戦して6勝しか出来ずに引退。この馬に「折り合い」とか「スタミナ」とかいう文字があれば
物凄い化け物になれたのでしょうが、天は二物を与えず、しかし佐賀のファンの記憶に残る馬でした。
そんなヨシノキャロルも繁殖に上がり、母親としてならあの良いスピード仔に伝えられるのではと思ったのですが…
これまでにデビューしたヨシノトップガンとヨシノラスカの2頭の仔は、母親と似たような展開のレースを
必ず一度は見せてから、どちらも既に引退しています。今年の2歳馬は父ブラックタキシード
1歳馬には父マヤノトップガンの仔が控えていますが、母親の良い部分だけ似て、悪い部分は似てほしくないものです。